~ 私の100冊 ~


人は一生のうちに読んでおくべき本が100冊あるといいます。

 読書の仕方は人それぞれに、黙読、朗読、精読、速読、乱読といろいろです。斜め読みから果ては積ん読(つんどく)までも読み方の一つに数えられます。気にかかったときに迷わず手に入れる。傍に積んだママしばらく読まないけれど、それが何の本かは知っている。本当に必要になったとき、それを紐解いてじっくり読めば良い、という具合に。人生の節目に出会った本には読む人に勇気と確信を与え、そっと背中を押してくれる力があります。その意味で読書はきわめて個人的な営みですから、これを人前に披露することに私は複雑な想いを抑えることができませんが、ここにあえて私の読書感想文をご紹介するのは、日頃一緒に過ごしている学生さんたちに私の隠れた一面をお見せしようと思い立ったのと、本を通じて私を育んでくださった方々に感謝の気持ちをお伝えすることができるよい機会になると考えたからです。

 ~ 私の100冊 ~ では、私が学生時代に出会った書物を中心に、私の個人的なエピソードとともにご紹介します。


シッフ 新版 量子力学(上・下) / Schiff Quantum MechanicsDirac The Principles of Quantum Mechanics量子力学演習 −シッフの問題解説−ファインマン物理学Ⅲ 電磁気学バークレー物理学コース2 電磁気(上・下)バークレー物理学コース5 統計物理(上・下)Pauling & Wilson INTRODUCTION TO QUANTUM MECHANICSMott & Massey The Theory of Atomic CollisionsJ. J. Sakurai Advanced Quantum MechanicsW. Heitler THE QUANTUM THEORY OF RADIATIONFeynman & Hibbs Quantum Mechanics and Path IntegralsBjorken & Drell Relativistic Quantum Mechanics / Relativistic Quantum Fields


シッフ 新版 量子力学(上・下) / Schiff Quantum Mechanics, 3rd ed.

シッフ 新版 量子力学(上)
井上 健 訳
物理学叢書2 吉岡書店(1970)
ISBN 4842701471
シッフ 新版 量子力学(下)
井上 健 訳
物理学叢書9 吉岡書店(1972)
ISBN 4842701587
原書:Quantum Mechanics, 3rd ed.
Leonard I. Schiff
McGraw-Hill, Inc. (1969)
ISBN 0070856435

量子力学の標準的な教科書と呼ばれて久しい。いささか旧くなっている感じがするが、学部から修士まで、いまでも十分な内容を含んでいる。もっと簡潔な記法を好む向きもあるだろうが、この本の記法にならった教科書や専門書も多く出版されており、その世代の研究者には馴染みやすさが感じられるだろう。初学者ほど冗長でも長い文章による説明があった方がいいというのが私の持論だが、それに合致する。最近は沢山読むことは好まれないようだが、舌足らずでどう読んでも読み取れないものよりは、何度も繰り返して読むうちに解ってくるものの方がずっといいと思うのは私だけではないだろう。

学部1年の終わりに物理学概論の山口重雄先生に、量子力学は何で勉強すればいいですかとお尋ねしたとき「シッフをやれば十分です」と言われて手に取りました。確かに解析力学や電磁気学の使い方まで含まれています。それでその春休みと2年の夏休みはそれしかやっていなかったというくらいノート作りに没頭しました。いまも教科書を見る代わりにそのノートを参照しています。私自身、初学者だっただけに自分のノートはシッフの教科書より導出が詳しいのです。

衝突の理論で散乱体による効果を波動関数の位相のずれ(phase shift)に押し込める話の進め方に具体性を感じられず不満を抱いたことがありました。現象論に当てはめるのだからそうやって一般的な枠組みをまず作っておくのだということはあとになって理解したことです。私がまだ駆け出しの頃、ある学会で矢花一浩先生とお話しする機会がありました。そのとき私の不満をきちんと伝えられていたかどうか自信はありませんが、先生は「理論が悪いんですよ」とあっさり。理論を作る先生のこれに私はあんぐり。教科書の議論が完成形とは限らないということに改めて気付かされた開眼の一言でした。

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The Principles of Quantum Mechanics

The Principles of Quantum Mechanism(第4版)
P. A. M. Dirac
みすず書房(1963)
ISBN 4622025124
原書:The Principles of Quantum Mechanism, 4th ed.
P. A. M. Dirac
The International Series of Monographs on Physics 27
Oxford University Press (1958)
ISBN 0198520115

ディラックの講演会に出た人がどれも聴いたことのある話ばかりで新しいものは何もなかったと言ったそうだが、それはみんなディラックがやった仕事だったから、という逸話を学生時代に友人から聞いたことがある。もちろん量子力学を1人で全部作ったというのは言い過ぎだけれど、独特なやり方で大事な概念を整理して残してくれたことは大変ありがたいと思う。ブラ・ケット記法や相互作用表示、相対論的電子論はディラックのオリジナリティーである。その一貫した見方で量子力学の考え方をまとめたのが本書である。

量子力学の一番難しいところが「重ね合わせの原理」。ディラックは最初がこの”The Principle of Superposition”。重ね合わされるのは「状態」で、これをケットで表す。「オブザバブル ξ(グザイと読む)」の固有値と固有ケットを、ξ にプライムや添字を何重にもつけて区別する。これを繰り返すと ξ が上手に書けるようになる。状態すなわちケットの座標表示が波動関数でありシュレーディンガー流の見方となる。

学生時代に市中の書店で専門書の和書と同じ棚に並んで異彩を放っていた英語の本がこのディラックの量子力学(第4版・リプリント版)。岩波の邦訳は当時、絶版状態で手に入りにくかったし、英語の勉強とカッコつけのために我慢して読み進めました。洋書は最初の40ページを過ぎると書き手の単語の癖が解ってきて読むのが楽になります。シッフを読んでいて具体的で詳細な計算に溺れてしまいそうになったとき、ディラックを読むとその簡潔な概念の掌握に助けられて視界がすっと開けました。

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量子力学演習 ―シッフの問題解説―

量子力学演習 –シッフの問題解説−
井上 健 監修
三枝 寿勝・瀬藤 憲昭 共著
物理学叢書 別巻 吉岡書店(1971)
ISBN 484270179X

シッフの量子力学の章末問題の解答集。どの分野でも問題が解けてなんぼということがあるとすると、初学者の場合はまず誰かの解答を真似するよりほかない。本文を読んで力試しに問題に当たって時間を潰すよりは、一つ一つの問題を新しい切り口と捉えて割り切って臨みたい。自力で解けた問題は解説にある解き方を別解として補完に使い、解けない問題は臆面なく解答を見せてもらおう。それでも自分には飛躍と感じられる部分があるに違いない。そのつながりを一つ一つ紡ぎ出していくことが問題解決を前進させる実力となって自分の中に積み上がっていくのだから。

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ファインマン物理学Ⅲ 電磁気学

ファインマン物理学III 電磁気学
宮島 龍興 訳
ファインマン・レイトン・サンズ 著
新装版 岩波書店(1986)
ISBN 4000077139
原書:The Feynman Lectures on Physics, Vol. 3
Richard P. Feynman, Robert B. Leighton, Matthew Sands
Later Printing Edition, Addison Wesley (1971)
ISBN 0201021188

ファインマンの講義から創作された物理学の独創的な教科書。定義と演繹による式の導出を基調とする伝統的な教科書と違って、背後にある物理の約束事をことばで語りつくしていくスタイルで一貫している。説明に用いられる例が本質を逸脱した例え話にならず常に正確さを極めるところなど、物理学の全般にわたって関心を持ち続け、その本質を理解したファインマンならではという凄みがある。

学部2年の電磁気学の授業で教科書に取り上げられた。これで演習問題が解けるようになるわけではないが、そこはどうしてそう考えるの(?)といった疑問にまた違った角度から答えてくれるかもしれない。

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バークレー物理学コース2 電磁気(上・下)

バークレー物理学コース2 電磁気(上・下)
飯田 修一 監訳
Edward M. Purcell 著
第2版 丸善株式会社(1989)
ISBN 462103300X / 4621033018
原書:Electricity and Magnetism, 2nd ed.
Edward M. Purcell
Berkeley Physics Course, Vol. 2
McGraw-Hill Science/Engineering/math (1984)
ISBN 0070049084

素朴な仮定から解き起こしていく丁寧な説明はバークレー物理学コースに共通する特徴。じっくり読んでいくだけで電子気学の基本的な概念が身につく。

真空の電場はガウスの定理から導くことができますが、境界条件付きのラプラス方程式を解く必要があります。いわゆる緩和法でラプラス方程式を差分化して解くというのを学部2年の電磁気学の演習問題で教わりました。当時はNECのPC9800がシェアを拡げていた頃で、N88BASICを電卓代わりにして2次元の電場を解き、クラスターイオンをコンピュータの中で走らせました。いまはSIMIONでもっと詳しい軌道計算ができますね。

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バークレー物理学コース5 統計物理(上・下)

バークレー物理学コース5 統計物理(上・下)
久保 亮五 監訳
F. Reif 著
丸善株式会社(1970)
ISBN 4621029533 / 4621029754
原書:Statistical Physics
F. Reif
Berkeley Physics Course, Vol. 5
McGraw-Hill Book Company (1967)
ISBN 0070048622

極めて単純なモデルから出発して熱力学の重要な結論に導いていくライフの名著のひとつ。あせらず途切れず淡々と進めていく丁寧な説明はバークレー物理学コースに共通する特徴。じっくり読んでいくだけで統計物理に基づいた熱力学の基本的な概念が身につく。

学部2年の化学熱力学の授業の終わりに加藤直先生に紹介していただきました。それで直後の春休みはこれしかやっていませんでした。説明の部分は寝転がって読める、想像力を掻き立てる一冊です。要点をノートに書き取って演習問題をこなしていくたびに、無秩序に翔び回るたくさんの分子の振る舞い(つまり分子の気持ち?)が自然にわかるようになります。

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INTRODUCTION TO QUANTUM MECHANICS

INTRODUCTION TO QUANTUM MECHANICS
Linus Pauling and E. Bright Wilson, Jr.
McGRAW-HILL BOOK COMPANY, INC. (1935)
INTERNATIONAL EDITION (Singapore)
ISBN 0-07-Y85557-9

混成軌道の概念を広めたノーベル賞化学者ライナス・ポーリングとその教え子ウィルソンによる量子力学序論(邦訳は白水社から出版1965年)。本ページのタイトルに”With Applications to Chemistry(化学への応用)”と添えてあるように、量子力学のなかで原子・分子の取り扱いに必要な項目に焦点を絞って化学者に馴染む波動力学の表現に徹して記述。量子化学の入り口までにあたる量子力学の概念の部分と分子の基本的な捉え方をピックアップして具体的に明示してくれる。化学から少しさかのぼって物理寄りの捉え方に立ち入りたい場合に有効。

シュレーディンガーの波動方程式を調和振動子と水素原子について説いた後、摂動論、ヘリウム原子から多電子原子へと進み、二原子分子の回転および振動を経て、時間依存の摂動論による電磁波の吸収と放出へと展開していきます。いま大学で教えられる量子化学の標準的なトピックスと配列は、このポーリングの教科書からあまり変わっていないとさえ感じます。ブラ・ケットすら使わない省略なしの積分の式、具体的な数値表、加えて豊富な軌道のグラフが、眺めているだけで小さな原子・分子たちの波動の世界に慣れ親しんでいく感じを与えてくれる一冊です。

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The Theory of Atomic Collisions VOLUME I and II

The Theory of Atomic Collisions, Third edition
Volume I and II
N. F. Mott and H. S. W. Massey
The International Series of Monographs on Physics 35
Oxford University Press (1965)
ISBN 0-19-852030-1/0-19-852031-X

モット・マッセイの衝突の理論は古典物理から量子物理による波動の散乱まで詳しく記述する。クーロン場による散乱断面積も含めて、具体的な結果を盛り込んである。

散乱の量子論に興味を持った頃、原子衝突研究協会のセミナーで講師をなさった高柳和夫先生が著者のマッセイ先生のお弟子さんであることを知り、関心を持って購入しました。各論が詳しいので拾い読みでしたが、散乱に関して覚えたキーワードは、ボルン近似、位相のずれ、クーロン場による散乱は遠距離力で特別、といったところ。邦訳=高柳・吉岡書店=物理学叢書17a・b(1975)もあるそうですが見たことがありません。

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Advanced Quantum Mechanics

Advanced Quantum Mechanics
J. J. Sakurai
Addison-Wesley Publishing Company, Inc. (1967)
写真はTenth Printing (1987)
ISBN 0-201-06710-2

空間は無数の調和振動子の集まりで出来ている。しばしば耳にするフレーズだが、目に見えない無数の振動子に起こるエネルギーのやりとりを、量子の生成と消滅によって記述することが出来てはじめてその意味がよくわかる。本書は、輻射場の量子化にはじまり、相対論的電子論によって物質と真空を定義し、共変ベクトル場の摂動論やファインマン・ダイアグラムへと導く量子電磁力学(QED: Quantum Electrodynamics)の教科書。理論から導いた結論を観測される現象に結びつけて解釈する場面が随所にあり、物理的な目標を見失わない。つまずきやすいところがわかるように親切に書いてあって、現象論まで知り尽くした著者の凄みを感じる。その意味で、形式美を求める向きには他に専門書がいくらもあるだろうが、場の理論の入門書として本書は他に類をみない独創的な良書である。

著者の櫻井 純は戦後すぐに渡米し、アメリカ人として活躍した物理学者。有名な量子力学の著作2件のうち、こちらは上級コース。邦訳は近年出版された。J. J. サクライ・上級量子力学・[第I巻]輻射と粒子[第II巻]共変な摂動論、丸善プラネット(2010年)

電気双極子遷移、電気四重極子遷移と磁気双極子遷移。これらの分岐を知りたくて電磁場の多極子展開の書いてあるものを探していました。過度な計算に溺れる前に解った気にさせてくれたのがこのJ. J. Sakuraiでした。

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THE QUANTUM THEORY OF RADIATION

THE QUANTUM THEORY OF RADIATION, 3rd ed.
W. Heitler
The International Series of Monographs on Physics
Oxford University Press (1954) / Dover edition (1984)
ISBN / 0-486-64558-4

ハイトラーの輻射の量子論。輻射の古典論にはじまり輻射場の量子化へ。次に、相対論的電子論から電子と輻射場の相互作用へと展開していく。さらに、時間に依存する摂動論の方法を与えた後、光と物質の相互作用が関わる現象の数々を解き明かしていく。その例には、化学でもお馴染みの光吸収と発光はもちろんのこと、ラマン散乱におけるKramers-Heisenbergの式や、共鳴蛍光、制動放射(Bremsstrahlung:ドイツ語だが英語でもそのままブレムスシュトラールンク=英語への外来語)が含まれる。

光と物質の相互作用を勉強するなら第二量子化が必要と研究室で阿知波洋次先生から聞いたのがこれ。邦訳は身近になく、神田の古本屋でDover版を購入しました。スタンダードに全部書いてあるのですが、当時学部生の私にはちょっと背伸びでした。邦訳:ハイトラー 著・沢田克郎 訳「輻射の量子論(上・下)」吉岡書店 ISBN978-4-8427-0282-7

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Quantum Mechanics and Path Integrals

Quantum Mechanics and Path Integrals
R. P. Feynman and A. R. Hibbs
International Series in Pure and Applied Physics
McGraw-Hill, Inc. (1965)
ISBN 0-07-020650-3

ファインマン・ヒッブスのパス・インテグラルがこの本。本書の目的としては、光と物質の相互作用を記述する量子電磁力学(QED)の入門書という位置付けだが、経路積分の考え方で貫かれている点で、スタンダードというより独創的。ファインマン流の捉え方を満喫できる。

ファインマンの経路積分は確率振幅の大きな摂動項を手際よく書き下すのに有効と聞いて、どんなものか関心を持ちました。物理の友人と一緒に図書室の本を全コピしたのを覚えています。写真は最近アマゾンで買った古本です。ファインマンの人柄を伝える著作は多数あり、また教科書も有名ですが、大学院生が読むのにちょうどいいこの教科書こそ、ファインマンに授与されたノーベル賞の仕事に関係するオリジナリティー溢れる逸品。起こりやすい事象とは何か?作用積分に焦点を当てて浮かび上がらせたファインマンの楽しみの一端を追体験することができます。

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Relativistic Quantum Mechanics / Relativistic Quantum Fields

Relativistic Quantum Mechanics / Relativistic Quantum Fields
James D. Bjorken and Sidney D. Drell
International Series in Pure and Applied Physics
McGraw-Hill, Inc. (1964 / 1965)
ISBN 07-005493-2 / 07-005494-0

相対論的量子力学は場の理論と対で素粒子物理学における標準的な教科書。相対論的量子力学はディラック方程式の性質と解の説明にはじまり、空孔理論から真空を論じた後、散乱過程への応用例を紹介、くりこみ理論とLambシフトまでが前半。後半にクライン−ゴルドン方程式から中間子をはじめとする強い相互作用による散乱過程について論じる。相対論的量子場の理論ではまず、クライン・ゴルドン場、ディラック場、輻射場の第二量子化を行う。さらに、Lorentz変換に対する不変性や時間反転に対する対称性など、理論の整合性を確かめながら、素粒子が輻射場との相互作用で生成・消滅する姿が描かれる。

ある打ち合わせの休憩時間に光と物質の相互作用を何で読んだかということが話題になり、吉村太彦先生が標準的なのはジョルケン・ドゥレルでしょうとおっしゃったので、あの著者はジョルケンと読むのかともやが晴れました(Bは発音しない)。この2冊の存在は知っていましたが、自分に関心のある前半はかなりコンパクトに書かれていて、なかなか手が出ませんでした。Bjorkenを声に出して呼べるようになって多少親近感もわいたので手にしてみました。

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